政治系の関連なのかたまに訪日在日外国人の問題の動画が出てくることがある。
事前に言っておくと、俺はかなり差別的な方だと思ってる。
差別の定義としては特定の属性で優遇冷遇することだと。
区別は違いによって分けることで優遇冷遇はないって感じ。
観光公害とか在日外国人による犯罪とかの動画が出てくるとイラっとする。
っていうか、この外国人問題はよそ者くせに調子こいてんじゃねー!で済む話だと思う。
で、俺なりに差別について考えてみてから、ネット上のコメント欄を見てみたら、
必要な差別が区別だとか、合理的な差別が区別だとか。
これって結局差別じゃねーかよって思った。
言い訳として苦しいね。
差別という言葉にビビりすぎだと思う。
たまに俺と似たような考え方のコメントがあったけど、ほとんどは差別という言葉を使わずに区別と言って、差別という指摘に対して逃げているように感じる。
まぁまぁ前から議論されてて今更感がある話でもある。
ということで、俺なりの考えを述べます。
想像してください。
例えば、私はもっと贅沢な生活を望んでいます。
もっとお金が欲しいです。
そこで、あなたに贅沢したいからお金頂戴って言ったとします。
でも、きっとあなたはお金をくれません。
普通の人ならともかくド左翼の差別をするな!と話の通じない元気な活動家でも、きっとお金はくれません。
それに対して私は差別だ!と指摘します。
あなたは、差別とかじゃなく当たり前だからとか、頭がおかしいと思ったり言い返したりするかもしれません。
でも、実際これは差別だ。
なぜなら、あなたのお金をあなただけで使い、私は使えないからだ。
差別って指摘する側と指摘される側の2つの立場があり、先の話は指摘する側の立場だ。
しかし指摘される側のあなたがした差別は正当な差別だ。
なぜなら、あなたが働いて得た給料はあなたが自由に使う権利があるからだ。
だから、私があなたのお金を自由に使わせろというのは、あなたの権利の侵害であるから不当な差別になり、あなたが自分のお金を守るために自分だけで使うのは正当な差別だ。
自分の権利を守るための差別は正当だっていうのが俺の考え方だけどどうかな?
他の例えだと、子供育てんのマジめんでぃー。
アンタ、俺の子の面倒見てって言われたら、普通断る。
この場合、最初は被扶養者か非扶養者かを区別するはずで、その区別の結果が差別となる。
でも、きっとここでも、そんなこと差別とかじゃなくて常識が無いだけだろって思うかもしれないけど、実質これも差別だ。
でもあなたは自分の子供をきちんと育てる、守る責任があり、他人の子供を育てる責任はない。
このような差別をしても、この例の場合、頭のおかしい俺以外あなたを非難する人はいないはずだ。
自分の権利とか財産とか自分のあり方を守るのは正当なことで、それを変えようとするのが不当な差別だと考える。
だから日本は日本文化を守るために異文化を差別するのは当然だと思ってる。
外国勢力が日本をおかしいというのは構わんが、変えようとするのは侵略的であるので日本に対する不当な差別だと考える。
このような考え方ができず、区別だと言ってると日本国内で異文化がエスカレートすると思う。
そして、すごく大事なことはバランス感覚だ。
どの程度の差別が必要かだ。
0,100思考白黒思考という極端な考えではない。
差別を助長する気は全くない。
印象的に日本は人種差別はしてないと思うけど、異文化への差別感情や異文化に対する差別は問題として表れていると思う。
騒音とか衛生観念とか倫理観とか。
そもそも多文化共生は国として成立しないでしょ。
一定の価値観でまとまって国になると思うんだよね。
でも多民族国家でも俺は良いよ。
だけど絶対に外せない条件があって、それは単一文化であること。
だから、日本に定住する外国人には日本文化を強制し同化させること。
でもそんなことできるのだろうか?
絶対、移民先でも同郷の人と集まって、自分たちの文化慣習で生活するはずだ。
そして、彼ら外国人は日本文化を尊重したり勉強したりせず、自分たちの文化圏を拡大して権利を主張するようになるでしょ。
こういう人たちから日本を守るためには区別とか言ってられないと思う。
差別と区別

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